4.四女以外の家族の見解
四女の他に、同時期に家族である次女、三女、長男、次男が面会しているが、そのときの様子を三女の松本麗華さんが著書「止まった時計」の中で以下の様に述べている。
『その後の接見でも、父は言葉を発しませんでしたが、相づちを打ち、笑い、わたしたちの話を聞いているように思えました。でもだんだん「父はわたしたちを認識できていない。ただ脈絡もなく笑い、相づちのようにとれる〝音〟を発しているだけではないか。先生の言う通りなのではないか」という不安も湧いてきました。接見を重ねるごとに、その不安は徐々に確固たるものに変わりました。もうこれ以上ごまかせない、確かめなければならないと思いました。
意味ある相づちか、単なる〝音〟か
四度目の接見のとき、父の発する〝音〟が相づちなのか、あるいは何の脈絡もないものなのかを確かめるため、わたしたちは接見途中に、一つの試みをすることにしました。接見途中から終了までの九分間、沈黙したのです。 沈黙しても、父の様子はまったく変化しませんでした。父は突然笑い、一人「うん、うん」「えやいん。うん。えんん」と〝音〟を発し続けました。
その後の接見でも、わたしたちは話しかけたり沈黙したりして、父の様子を見守りました。やがてわたしたちは、父が発する相づちのような〝音〟に、何の脈絡も、意味もないと確信していきました。気がつけば、父と接見することの価値もわからなくなっていました。』
父(麻原彰晃)は、脈絡なく突然笑い一人で”音”を発し続けたとのことで、外界の刺激に全く反応しなかったという加賀先生の接見時の様子とも合致する。
三女の述べていることの方が、四女が著書で述べていることより信憑性があるのではないか。
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